野口 道子 様
1954年3月に徳島大学学芸学部を卒業され、小中学校で長年教鞭をとられ教育に携わってこられました。これまでにも複数のご支援をいただいております。このたびは教育・研究・社会貢献事業に役立てて欲しいとご寄付をいただきました。徳島大学の卒業生として今の学生への想いをお聞きしました。(2023年11月20日インタビュー実施)
1954年3月に徳島大学学芸学部を卒業され、小中学校で長年教鞭をとられ教育に携わってこられました。これまでにも複数のご支援をいただいております。このたびは教育・研究・社会貢献事業に役立てて欲しいとご寄付をいただきました。徳島大学の卒業生として今の学生への想いをお聞きしました。(2023年11月20日インタビュー実施)
徳島大学の先輩であり、教師として教育に携わってこられた経験から学びの大切さを実感され、母校、後輩たちに役立てて欲しいとご寄付を賜りました。大切に活用させていただきます。ありがとうございます。
秋ごろ、徳島大学から徳島大学基金の教育・研究・社会貢献事業報告書が郵送されました。その冊子には、学生や研究者の先生の活動が書かれており、頑張っている様子が伝わり感激しました。その後も、夫と一緒に読み、徳島大学基金の取組みに興味を持ちました。
そうこうしている間に母校の後輩たちに少しでも役に立てることはないかと思い、寄付を決意しました。
卒業して長い時間が経っており、懐かしさもあり報告書に記載があった新蔵本部に夫とお伺いすることにしました。そこでさらに、学生さんたちへの支援についてお聞きしたことで寄付をしようと最終的に決めました。
私は、徳島大学学芸学部を卒業し、小中学校で教員として34年余り教鞭をとってきました。今年おかげさまで夫婦共々卒寿を無事に迎えました。考えてみましたら、話を聞いたり、食べることに不自由なく、好きな本を買いたいときに買え、まだ本を読んで楽しんだり家族とその日その日を明るく暮らすことができています。
では、このもとは何かと考えたら徳島大学で学んだということだと思いました。
私の父母は教育に昔から理解がありました。私が小学校に入る前後ごろ、父の膝の上で「みちこは学芸大学に入ったらいいな。」と言われたのを鮮明に記憶しています。まだ、そのころは意味など、ほとんどわかりませんでしたが、成長していく中で大学に行ったら学校の先生になれるんだと分かりました。両親の影響で、本を読むのが好きでしたし、勉強も好きだったと思います。そんな感じで、幼い頃から徳大に行くと思っていましたね。
大学に入学してしばらくは、汽車で通学していました。朝の車内は始め誰も乗車していませんでしたから、英語の単語を引いたり、読書をしたりして過ごしました。大学では素晴らしい恩師にも恵まれ、学業と学生生活を送ることができ、その経験がその後の自分になくてはならないものになりました。
やっぱり研究にしっかり打ち込んでほしいです。学業や研究に打ち込むということは、非常に集中力がいるだろうし、思ったように進まず苦しいことも出てきてそれを打開するために忍耐力や我慢強さが必要なんだと思います。
私の世代は、戦争を体験し、あの焼け野原から徳島がこうやって素晴らしい町になりました。そこには、立ち上がってきたエネルギーがありました。どうぞ、今の皆さんも忍耐力を持って心を大切にして失敗を恐れずにチャレンジ精神で研究でも学生生活でも進んでいただきたいと思います。
また、徳島大学が提供する教育や研究活動、そして社会貢献が一層の発展を遂げ、後輩たちがより良い教育環境で学び、成長できることを期待しています。私がそうだったように、苦しい時期もあるかもしれませんが、その中での経験が成長の一環となり、後に役立つと思います。今後も大学が学生さんの学びの場となることを願っています。
夫婦で卒寿を迎えることができ、感謝の気持ちを述べられた野口夫妻
徳島大学で学び、卒業してからは教師として教育に携わっていました。退職後は、カメラで庭の草花を撮影したり、世界旅行や古都を巡ったりしてきました。今の生活ができているのも徳島大学で勉強させていただいたおかげです。
後輩の皆さん、大学での学びは将来への礎となります。教育と研究に真摯に取り組むことで、個々の可能性が開花し、社会に貢献する力が育まれますので頑張ってください。