現在までに賜りました多額のご寄附は、大学の学部の枠を越えた施設整備や医学を学ぶ学生・若手研究者の国際交流への活用が始まっています。
どのような経緯で寄付をしようと思われましたか?
僕がちょうど還暦になった時にソーシャル・アクティビストとして社会貢献をしなければと思い立ったわけです。
寄付に関しては、一番最初は僕の母校の小学校から始めました。小学校、中学校、高校と次にいよいよ大学だなと思っていました。
大学は一番お世話になったし、今の自分が医師としてあるのも徳島大学のおかげという思い入れが強かったですね。
そのような時に、ちょうど東京で開催されたびざん会(徳島大学の同窓会交流会)で徳島大学の創立70周年の話を聞きました。70周年の時に何か記念になるものをということで、そこからスタートしたわけです。
やっぱり根幹にあるのは、今これだけ元気に社会で活躍させてもらっていること。
医師として活躍させてもらっていることは、徳島大学を卒業し、医師になれたからと思っています。
今の基礎をつくってくれたのは青春時代の6年間を徳島で過ごせたことで、すごく強い思い入れがありますね。
母校である徳島大学がこれから活躍していってもらうために、やはり一番必要なのは若い人たちということを考えて自分なりに貯めたお金を寄付させてもらいました。

大学時代に印象に残っていることは?
1つ目は、常三島キャンパスで学んだ教養課程が修了して、蔵本の専門課程に移ったときの下宿先のご夫婦です。下宿先のお父さんとお母さんには、大変お世話になりました。
すごく厳しい人だったんです。そこでの生活で人間としての人とのつながりや人に感謝することなどを教えていただきました。徳島にお父さん、お母さんがいて心から感謝すべき人がいたことですね。
2つ目は、徳島大学の昔の第1内科 大野文俊先生との出会いです。お世話になった先生や尊敬する先生がたくさんおられて、皆さんに感謝しています。
その中で、大野先生は僕の理想で一番尊敬する医師で一番大好きな先生です。素晴らしい恩師の大野先生と出会えたということは、僕の人生の宝物です。
3つ目は、かねてからの親友の南部靖之氏(株式会社パソナグループ グループ代表)から、1976年2月に起業するという相談を受けたんです。その時は何も分からなかったけれども、南部氏を信頼し、大いなる夢に投資したということですね。このことが、僕の人生を大きく左右することになりました。
6年間、徳島で出会った人たちが僕の財産で、今でもたくさんの人と付き合いが続いています。
いろいろな人に大事にしていただき、かわいがっていただいて、今の僕がつくられたということで、徳島大学、徳島県には本当に大感謝です。
徳島県民に助けられながら、楽しい、楽しい、ほんとに楽しい6年間の大学生活を送れることができました。だから大学プラス徳島県に対する思い入れは人一倍強いわけで、第2の故郷だと思っています。
僕の寄付が、蔵本キャンパスの施設整備に使われたことについては、
その施設が日本有数の充実した設備を備えて、医学部だけじゃなくて
徳島大学の全ての学部・学科の学生たちがそこでスキルアップできるように、
若い人たちの教育に活用することを大学が考えてくれました。それはすごく嬉しいことでした。
僕の夢は、若い人たちにこれからを期待して活躍してほしいという強い強い思いがあります。彼らがこれからの徳島大学をもっと活性化してくれると心から信じています。
徳島大学が生き残るための方策としては、やはりグローバル化、アメリカとか海外に留学してスキルアップするということ。要するに世界の大学との活発な交流が若い学生、先生たちには絶対必要ですよね。
だから今回は、医学を修養する学生や若手研究者の国際交流を支援する基金(令和4年度に創設された濱本医学国際交流基金)を応援しました。

2023年度濱本医学国際交流基金による海外留学・研修支援事業及び外国人留学生
受入事業授与式後の記念写真(2023年7月1日)
大学・学生に期待すること
大学というのは教育とか研究とか、あるいは病院の診療とかいろいろな使命を持っていますよね。そのなかで僕が一番大事だと思うのは、「画期的な研究」だと思うんですよ。
研究費や予算が乏しい地方の大学で、その中で独特な研究をすることによって、結果、社会貢献できて、国内にも世界にも認められる研究を全学部でもしていくと、やっぱりそこに優秀な人は集まってくると思います。
そしてさらに優秀な研究が集まってくると思う。我々にしかできないことを研究で見つけていって、そこから発展していくことによって、優秀な人が集まれば、教育も発展していく。
やはり我々にしかできない、新しい創造的な研究開発を今まで以上に頑張ってほしい。力強くやってほしいですね。

徳島大学はこんなことやっていると広く、強く発信していけば、全国から入学志望の学生が集まってくる可能性があるように思います。
縁があって、僕も徳島大学で学びました。青春時代に最高のすばらしい親友などの人間関係ができたおかげで、大学卒業から約50年間楽しい、すばらしい人生を送らせてもらっています。
学生は、夢を持って行動することが必要です。
それに加えて、素晴らしい友達をつくることですよね。何よりも人間関係って大事ですよね。
やはり素晴らしい人間関係をつくっていくことが生きていく上の糧になり、それで活躍する場が広がっていくと思っています。
そんなふうに過ごしてきましたが、僕は、60歳くらいである程度いろんな余裕ができてきたときに、
母校に少し貢献できるような人間になれたということをうれしく思っています。
現役の学生とか若い先生方にも、何かに貢献できるようになることを期待したいと思います。

徳島大学、徳島大学生へのメッセージ
僕が学生に期待することは、一度しかない人生だから大きな夢を持って失敗を恐れずに大空に羽ばたいてほしいわけです。
「もっと冒険しようよ。」ということを言いたいわけですね。
本当、一回しかない人生だからね。
職員の皆さんには、大学が生き残れるかどうかの瀬戸際なので、新しい方向に向けて改革し、
将来、どういう形になっても、きちっと徳島大学として生き残れる方策を考えていってほしいです。
教職員が一丸となって、今までの概念にとらわれることなく、改革し、前進してほしいと強く強く望んでいます。

日頃から徳島大学へご理解、ご協力を賜り、誠にありがとうございます。今回のインタビューにおいて学生、徳島大学、そして徳島への強い思いをお聞きすることができました。
濱本先生からのご厚志をしっかりを受け止めて徳島大学の発展に努めてまいります。